生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

昔、130点をつけた先生がいました。

130点をつけた先生 

私が高校3年のとき、英語を受けもっておられた担任の先生のご自宅に遊びに行ったことがありました。その時の話ですが、その当時、校長をされていた某先生は、以前は国語か歴史で授業を受けもっておられたのですが、生徒の答案に130点をつけられたことがあったということでした。

また別の某先生は、授業の始まる前に酒を少しひっかけて授業にのぞまれることがあったそうですが、その授業は生徒をシーンとさせるほど素晴らしいものであったということでした。

100点満点なのに130点をつけるとはどういうことか、酒を飲むことは厳禁なのに酒を飲んで授業をするのはどういうことか、今日の常識ではいずれも許されないことで教師失格ということになるでしょう。

しかし、時代は許しました。型にはまらない先生が存在しました。そしてその先生の突拍子もない点数や、生徒がシーンと静まりかえる授業は、生徒の心を鼓舞するものでした。

 

時代の流れ

ところで、私の小さい頃は、魚屋、肉屋、八百屋といった小売店舗は殆んどが個人商店でしたが、それが時代が進むとともにどんどん消えていきました。そして反比例するように企業が多く誕生しました。個人商店は、スーパー等の企業に吸収されてきて、その結果、個人商店主は著しく少なくなり、サラリーマンが増えてきました。時代は個人商店の時代から企業の時代へと移ってきました。

私は長い間、サラリーマンでした。サラリーマンにも個性的で独創性を発揮する人はいますが、所詮、企業の歯車に過ぎませんので、サラリーマンは、型にはまりがちですし、ステロタイプ化されがちだと思います。

 

型にはまらない

時代は型にはまらない人を許さなくなってきました。しかし、私は、型にはまった人にもう一つ魅力を感じません。協調的で人は良いのですが、途方もない可能性を見出せないからです。少なくとも、一人の人間として、個人が確立されているとはいえないと考えるからです。

今の時代は、人は知らず知らずのうちに、型にはまっていることが多いと思います。借り物ではない、その人自身の考えであり言動であることを心がける、そうしなければ個人の尊厳はあり得ません。