生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

脱サラに成功するうえで最も大切なこと(私の体験から)

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脱サラして10年後に生き残ったのは10%以下といわれるなかで  

私は52才で会社を退職し独立しました 

私は52才で会社を退職し独立したことで、私の周囲のサラリーマンの方から一様によく独立できましたね、といわれました。30才~40才というならまだしも50才過ぎてからの独立は到底考えられないことだからでしょう。私が独立したときは、長女が中学2年、長男が小学6年でしたから、これからお金がもっともかかるときです。驚きをもってみられるのは当然のことだったと思います。

 

私に独立を決断させたものは何であったか 

私の父は私が高校2年のときに他界しましたが、地方で中小企業の経営を行なっていました。父は事業家であったからでしょうか、生前、サラリーマンはつまらない、男の挑戦するものではない、とよく私達子供に話していました。そういう家庭環境で育ったことが大きかったと思いますが、多分に私の性分も手伝い、私はサラリーマンに馴染めませんでした。もちろん仕事に夢中になったときもありましたが、私はサラリーマンを辞めて独立しようとしたことが一度やニ度ではありませんでした。しかしその度に独立をあきらめました。いつの時も独立するのに必要な確たるクライアントが見当りません。そして、一番大きかったのは家族の存在です。いろいろ考えてみても経済的見通しが立たないのです。独立するのはとても恐ろしいことでした。 

私が会社を退職し独立した当時は、バブル崩壊後で、不動産業界は不況でした。私のいた会社はそれこそ青息吐息の状態で、ある会社の財政的支援を受けて、会社の再構築を模索しておりました。その後は金融機関の支援も受け、最終的には大手の不動産会社に吸収されています。再構築の煽りを私はまともに喰らいました。そういう中で私は脱サラを思案しましたが、とても展望は開きません。業界そのものが苦しいのに、個人が独立して起業できる社会的状況ではないのです。私は、会社から独立するのは困難さりとて会社にとどまるのは苦痛という、まさに四面楚歌の状況に追い込まれましたが、経済優先で会社にとどまる方向でいました。 

その頃でした。ある日、某書店で一冊の本に出会いました。私は今までに経験したことのない衝撃を受けました。それは、ある人物の講演録音テープを文章におこしたものでしたが、この人物は紛れもない本物だと直感しました。私は繰り返し繰り返しこの本を読みかえしました。

 

心の態度が積極的であること 陽気の発する処金石また透る 

積極的態度をもってすれば何一つ恐ろしいものはない。必ず道は開けるに決まっている。生半可な積極的態度をいうのではありません。誰にも負けない飛び切りの積極的精神態度です。身分の低い水呑百姓であった豊臣秀吉がわずかの年月で天下をとったのは何故か、それは心の態度が積極的であったからだ、誰にも負けない積極的精神をもっていたからだ、と断定しているのです。 

積極的精神態度で必ず道は開ける。そう考えると不思議なことに、私の心の中で、独立するのに抵抗感はなくなりました。

やれスキルだ、やれ資格だ、やれクライアントだ、やれ社会情勢だ、といって考えているうちはとても独立は決断できなかったのですが、積極的精神態度は私の背中を押しました。

 

事務所開業・独立スタート 

事務所を開業したのはよいのですが、はじめの2年間は惨憺たるものでした。業界が不況のうえに、そもそもクライアントがいないのです。仕事が舞い込んでくるはずがありません。私は、必死になって、クライアントになるとおもわれるところを訪問しました。そしてわずかな仕事でも真心をもって積極的に対応しました。積極的精神は持ち続けました。時には、まったく思いがけない人から仕事がくることも出てきました。  

私は、仕事があるときもないときも、少なくとも2年間は朝の8時半から夜の10時頃まで働きました。休みは1年間で正月休みの3日間のみです。女房にも手伝ってもらいました。この当時のことを思い出すと、戦後の日本における下請工場のことが思い浮かびます。電灯は夜遅くまで煌々と灯っているのに、生活はひとつも楽にならない。

そうこうするうちに独立のために用意した資金が底をついてきました。夜、床に就こうとするとこめかみがピクピク脈打ちます。経済的ストレスとはこのことをいうのか、と思いました。そうはいうものの、生来、楽天的なところもある私は、当時は夜床に就くのが何よりのストレスからの解放でした。眠ってさえすれば何もかも忘れてしまうのですから。 

独立して2年が過ぎ資金が底をつきかけたときから、不思議なことに地方公共団体や裁判所や民間から仕事が入ってくるようになり、どうやら仕事は軌道に乗ってきました。

 

準備は大切だが当てにならないことが多い  

脱サラして独立、起業するには、その起業しようとする仕事の経済的背景がフォローの風が吹いているか、アゲインストの風が吹いているかを判断が、まず一番目に大切なことでしょう。資金、クライアント、スキル等について用意周到な準備が必要なこともいうまでもないことと思います。ところが、いざ脱サラしようとする人にとっては、その人は会社が面白くないから脱サラしようとするのですから、上の条件がそろっていないことが多いといってよいでしょう。 

私の場合は、私のいた業界は不況、私自身のクライアントは殆んどいない状態でのスタートでした。会社の中で培ってきたスキル、資格はあってもすぐに役立つものではありません。したがって私のスタートは無謀なものといえました。心の中で積極的精神では誰にも決して負けないぞ、という思いはありましたが、乱暴な言い方が許されれば、ただそれだけですから。 

しかし、クライアントがいない分、仕事への取り組みは必死でした。何もないから死に物狂いです。もしスタート時にクライアントがいれば、それだけ死に物狂いにはなれなかったと思います。スタート時点での準備は必要なことだと思いますが、条件が整っていれば、私の場合に限っていえば、独立は失敗していたと考えています。 

スタートしてぶつかっていったのは、想定外の連続でした。クライアント一つをとってみても、サラリーマン時代に接したことのないところが殆んどです。私に限らず、脱サラした多くの人にとって、サラリーマン時代に付き合っていたクライアントは殆んど役に立っていないのではないでしょうか。 

これから独立しようとする人にとって、本稿は精神論に終始してお役に立たなかったかもしれませんが、もっとも大切なことを私の経験を踏まえて書いてみました。