- 1.目の不自由なピアニスト辻井伸行さんの魅力
- 2.私の先輩のIさんは物事をズバリと言う
- 3.純粋な子供はいつ頃からか純粋でなくなったのか
- 4.大人になっても純粋さは心の奥底に鎮座している
- 5.純粋とつきあう大人の心構え
1.目の不自由なピアニスト辻井伸行さんの魅力
目の不自由なピアニスト辻井伸行さんが世界から称賛されていることは、今や多くの人の知るところです。ネット上の辻井伸行さん《世界から絶賛のコメント》動画から称賛のコメントを拾ってみました。
伝説のピアニスト、故ヴァン・クライバーンは言います。
「彼の演奏には神の存在が感じられます。
心が純粋で美しい調べを奏でます。
それは無限に天国へと届いています。」
音楽評論家伊熊よし子さんのコメント
共演したバイオリニスト、指揮者、いろんな人が異口同音にいうのは、
「非常に透明感があって純粋、そしてとてもまっすぐな音、ですから私たち聴き手にまっすぐに飛び込んでくるストレートな音なんです。飾り気であったり、気負いがあったり、てらいがあったり、そういうものは何もない。楽譜から読み込んだ音を素直に音に託しているので清らかな音なんです。」
2.私の先輩のIさんは物事をズバリと言う
Iさんは私の2才年上で、付き合いはじめてから30年近くになります。
Iさんは物事をズバリ言ってのけます。
まわりの空気を読まないというのか読めないというのか、そういうことが度々あります。
今でいう、自己中心的ということでしょうか。
従って、周囲と時々物議を醸します。
多分、大部分の人はIさんを変わっている人だと言って片づけてしまうことでしょう。
しかし、Iさんは純粋です。純粋というところに目を向けると、Iさんは可愛げがあります。大人に成り切れないところが多分にありますが、その分、憎めないところがあります。
3.純粋な子供はいつ頃からか純粋でなくなったのか
私達は、誰しも、子供の頃は純真で純粋です。
もちろん身に覚えのある方もいるでしょうが、大人顔負けの計算高いところも、時には顔を出します。しかし、大人に比べれば純粋であることは間違いないことです。
幼い子供の無邪気な振る舞いを見れば解ります。大人が叱るともうこの世の終わりとばかりシュンとし、誉めると飛び上って喜びます。ストレートに反応します。純粋なのです。
高校野球の丸坊主の選手が汗まみれになって野球に取り組む姿は、爽やかで純粋で、私達を感動させます。
さて、私達はいつ頃から、純粋でなくなったのでしょうか、というより、純粋さを心の奥にしまいこんで表面に出さなくなってしまったのでしょうか。
すべては、自分と自分以外の他人との関係からでしょうから、他人をはっきり意識するようになった時からでしょう。
自我に目覚め自意識が確立した時からだと思います。
そして、もう一つはっきりしているのは、自立して生活をするようになったとき、経済を考えるようになった時から、というのがあります。自分自身の生活、経済のことを考えると、他人との付き合いには、多かれ少なかれ利害得失を考えてしまいます。多少なりとも相手の顔色をうかがうということがあります。
4.大人になっても純粋さは心の奥底に鎮座している
子供の頃にあった純粋さは、大人になってくるとどこにいったのでしょうか。いなくなっしまったのでしょうか。
いやいや、どっこい、純粋さは、誰しもの心の奥底に鎮座しています。
純粋さが呼び戻されると、人は心の底から感動するのです。
ピアニスト辻井伸行さんの演奏が人々に感動を与えるのは、「心が純粋」で美しい調べを奏でるからです。
5.純粋とつきあう大人の心構え
私達は、大人になれば、それまでの自己中心的な考え方からコペルニクス的展開をして、他人を利する考えを少しでも身につけていかなければなりません。
そうしたうえで、私達は、決して「心の純粋」を忘れないこと、が大切です。
邪心のない純粋は人の心を突き動かし、また自分自身をも仕合わせにしてくれるはずだたからです。