生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

〇と☐(円形と四角形) 形は人間の心が造ったもの

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ニューヨークの摩天楼から見下した風景

平成2年頃だったとおもいますが、私がサラリーマンであったとき、会社の研修旅行でアメリカに行ったことがあります。その折り、定番コースの一つで、ニューヨークで一番高い有名な摩天楼に昇ったことがあります。そこからニューヨークの街を見下ろしますと、四角いノッポビルが林立しているのが眼下に広がってきました。私はそれを見てゾッとしたことを覚えています。何と表現したらよいのでしょうか、ビルの砂漠とでもいうのでしょうか、荒涼、無機質、大袈裟にいえば世紀末の風景です。

「人生は心一つの置きどころ」といいます。人間の心で行う思い方、考え方が、人生の一切を良くもし、悪くもする、というのが人生支配の根本原則ということですが、このことを一歩進めて考えれば、人間が造った物は人間の心が造ったもので、人間の心を反映しているといってよい、ということになるのではないかと思います。人間の造った物は人間の心そのものだ、というのです。この点は、案外、誰もが気のついていないことだと思いますが、重要で強調したい点です。ニューヨークのノッポビル群は人間の荒涼とした心を反映している、といってよいのではないでしょうか。

 

〇と☐の視点から見ると

今、〇(円形)と☐(四角形)で物事を観察してみることにします。どちらの形が自然に寄り添っているかといえば、私は〇だと考えています。生命の大本ともいえる太陽は〇です。地球も月も〇です。自然界に☐は見当らないように思います。木は☐ではないか、といえそうですが幹は〇です。〇が伸びてそこから枝が出ています。カボチャ、トマト、スイカ等々の野菜は〇です。キュウリ、大根は幹となるところは〇で、ただ細長いだけです。果物も野菜と同じです。

〇は角が立たず円満です。これに引きかえ☐は四辺が直線で四隅が角になっています。どちらかといえば角が立ちます。

建物について考えてみましょう。建物は人間が造ったものですが、まれに〇も見受けますが殆んどが☐といってよいでしょう。事務所ビル、商業ビル、マンション等々、街で見られる建物は殆んど☐です。何故☐かといえば、〇では、机や椅子等々を配置するとき無駄なスペースが出来てしまい、効率的でないと人間の心が思うからでしょう。効率的でないという判断が遊び心があってよいとの判断より優勢なのでしょう。

住まいについて、現代は☐ですが、縄文時代から平安時代に見られた竪穴式住居は、☐もありますが〇が主流です。旧石器時代には岩陰や洞窟に居住していたのが、縄文時代になると狩りや採集が行われ、竪穴式住居に定住するようになり集落を形成していきます。竪穴式住居は地面を円形(方形もみられるが円形が主流)に数10cm~1m(北海道では2mもある)掘り凹め、その中に木で柱を建て、梁や垂木をつなぎあわせて骨組みを作り、土や葦などの植物で屋根を葺いて円錐形の屋根をこしらえて作った建物です。そして5~20軒ほどの竪穴式住居が一箇所に集まって集落を形成し、その集落は円形か楕円形に形成されています。円形に穴を掘ったのは、方形で出隅のあるのは竪穴式住居を作るなかでコーナーがうまく納まらなかったため、ということがいわれていますが、一方、縄文人は、自然の驚異と対峙した生活を送り、そこから太陽崇拝があって、円形を好んだと推測できるとされ、太陽ひいて円形は万物すべてを平等に扱うという発想があったものと思われるという説があります。竪穴式住居の円形も集落の円形もこのことと無縁ではないのかもしれません。

建物というより、施設といった方がよいかもしれませんが、現代でも、野球場や運動場は競技に合わせて〇であったり、楕円であったりしています。

テーブルについて、殆んどが☐ですが、中華料理のテーブルは〇です。☐では、その場の長の居場所が決まりますが、〇ではそのようなことはなく、どの場所も全く同じで平等です。

食器について、皿類は☐もみられますが多いのは〇です。飲んだり食べたりするコップや茶碗は飲み口はすべて〇といってよいでしょう。盛りつけしやすい、飲みやすいということで〇なのでしょうけど。

自動車や飛行機や電車は☐ですが、走りやすくするため微妙に〇(カーブ)を加えています。

 

☐は〇に近づけないか

以上、みてきたところで明らかなことですが、人間が造る物は、人間の心が使い易いという目的を求め、その反映として〇であったり☐であったりしています。それはそれで当然なことだと思いますが、私の心は〇を求めています。☐のものでも〇はできないのかと、☐ものの少なくとも四隅は少しでもカーブを入れることができないかと。〇の方が心が和むと思うからです。太陽が〇ということから考えると〇が自然に寄り添った形と考えるからです。

最後に、独り言。自動車のマークを見ると〇に近いものと☐に近いもの、その中間のものに別れますが、〇に近いものが私は好きです。どちらの自動車が多くの人に受け入れられているのでしょうか。