生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

相撲協会の改革指針  貴乃花親方、貴ノ岩聴取を拒否

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日馬富士事件は内輪モメからはじまった

日馬富士暴行事件がテレビ、新聞等で連日報道されています。次から次と新しい情報が出てきて、次第に事件の全容が解ってくるとともに、一方で何が本当のところか解らなくなってきています。

事件は、鳥取市内で行われたモンゴル力士を中心とした懇親会で、日馬富士貴ノ岩の態度に激怒し、貴ノ岩を殴りケガをさせた、というもので、いわば内輪モメといっていいものです。

10年前、時津風部屋で起きた力士暴行死事件は、稽古場での常軌を逸した暴行によって起こったもので、稽古そのもののあり方が問われましたが、今回の事件は、一般社会でも見うけられることが少なくないと思います。

この場合は、法に触れるほどの暴行や傷害があれば司直の判断に委ねられ、そうでなければ当事者間で示談等による解決がなされます。日馬富士事件も同じ流れになると思いますが、本件では当事者とは別に相撲協会が加わる点が違います。

 

貴乃花親方、貴ノ岩聴取を拒否。相撲協会の自浄能力は

貴乃花親方は、事件が起きた10月25日の4日後の10月29日に、鳥取県警に「被害届」を提出し、その後、鳥取県警からの問い合わせを受け初めて暴行を知った相撲協会が11月3日に行った貴乃花親方に対するヒアリングに対し、「暴行は知らなかった」かのような対応をしています。

貴乃花親方による相撲協会に対する問題提起あるいは挑戦といってよいでしょう。貴乃花親方は「被害届」を提出し、それを取り下げようとしないのですから、司直による判断を必ず実現させようとする狙いがあると思われます。11月22日に相撲協会は、貴ノ岩への聴取に協力するよう貴乃花親方に申し入れしていますが、貴乃花親方は拒否しています。相撲協会の隠蔽体質を嫌い、相撲協会による自浄作用を拒否しています。

本来は、貴乃花親方は、暴行について相撲協会に報告を行い、相撲協会の判断で、「被害届」を警察に提出するか否かを決め、提出するべきだとしたら提出し、司直の判断を参考にして、相撲協会相撲協会としてのこの事件に対する処置を決定すべきでしょう。

相撲協会による自浄力によって事件を解決するのがあり得べき姿と思いますが、あり得べき姿となっていません。その意味で相撲協会は自浄能力を持ち合わせていないという結果になっています。

どうしたら相撲協会に正しい自浄力を身に付けさせることができるのでしょうか。もっとも問題とすべきはこの点です。今回の事件は、いずれ何らかの形で一応落着するでしょうが、この問題を解決しなければ、何の意味ももちません。

正しい自浄力を身に付けるということは、何も相撲協会に限ったことではなく、大変困難なことで、現在の日本の社会が直面する問題といってよいと思います。根が深い問題です。

例えば生徒のイジメの問題があります。学校側の対応にはいつも疑問が残ります。イジメられる側が問題提起を学校側に行っても、始めのうちは、なんだかんだといって、まともに取り合ってくれません。そして自殺などの問題が起きると今度は平謝りです。そして〇〇の対策を講じて今後は2度とこのようなことがないように努めます、といいます。学校側に自浄能力が備わっているとは到底おもえません。しかし、どうでしょう、イジメの問題はなくなりそうにありません。イジメの問題にとどまりません。企業が起こす社会的トラブル等々、いろいろなところで、似たようなことが起こっています。私達の身近にもあるはずです。

 

相撲協会の改革指針

組織の自浄力の欠如は、一体、何に根づくのでしょうか。

「自由闊達な自己責任をともなった議論がない。」私は一番の問題はここにあると思っています。

貴乃花親方が、安心して、被害のあったことを相撲協会に報告し、相撲協会によって真っ当な解決ができるためにはどうしたらよいか、今後、話し合われ、現在でも第三者をまじえた危機管理委員会や評議会がありますが、外部理事の充実等々といった機構改革がなされるかもしれません。

しかし、重要なことは、「自由闊達な自己責任をともなった議論が行われる風土」をつくることであり、この視点から組織のあり方も含めて徹底した改革が行われることです。

自由闊達な自己責任をともなった議論が行われるところでは、組織は活性化し澱みません。新しい発想がどんどん湧き出てきます。そこは、良い意味で真剣勝負の場となります。

私は、組織の命運を左右するのは、トップの力量次第と思っています(当ブログ・企業の業績はトップ1人で決まる 2016/06/03)。そして次に組織が自由な雰囲気で活発に議論がなされることだと思っています。組織の方向性を決めるのはトップですが、トップの正しい判断はトップが天才であれば別ですが、多くは、自由闊達な自己責任をともなった議論の中で生まれてくると考えています。トップが誰になるかが重要だというのは、組織の方向性は、最後はトップ1人の力量と運によると思うからですが、トップが自分に取り入れる人を重用し、それ以外の人を軽視するのであれば、自由闊達な議論など生まれるはずがないということがあります。自由闊達な議論が行われる風土をつくるにはどうしたらよいか、トップに相応しい人は誰にするか、相撲協会が自浄力をもつためには、避けて通れない課題だと考えます。

 

人生は蒔いた種どおり・貴ノ岩にも反省すべき点はなかったのか 

日馬富士の暴行は決して許されるものではありません。そのことは明白で誰にも異論はないと思います。

以下は、相撲協会とは離れて、日馬富士貴ノ岩の個人間のことですが、「人生は蒔いた種どおり」という話をしてみたいと思います(当ブログ・人生は蒔いた種どおり 2016/10/14)。人生は蒔いた種どおりと考えると、加害者である日馬富士はもちろんのこと、被害者である貴ノ岩にも事件を起こす原因(種)があったのではないかと思います。

 

被害者である貴ノ岩について 

日刊スポーツで11月19日に以下の記事が掲載されています。

暴行事件のあった1ヵ月前に東京・墨田区錦糸町のバーで、モンゴルから来日した白鵬の友人がいる中で、「俺は白鵬に勝った」「あなたたちの時代は終わった」「これからは俺たちの時代だ」などと言い、モンゴル出身の元幕内の先輩力士らと口論になった。後日、同席者によって事情は白鵬に伝わった。そして迎えた10月25日、鳥取市内での懇親会で、白鵬はこの錦糸町の出来事を口にし、貴ノ岩を叱り、先輩力士への口の利き方などをあらためるように言い聞かせたが、話の最中にテーブルの下でスマートフォンを操作。これを見た日馬富士が「お前、大横綱が話している時に何をしているんだ」と頭をたたいたが、反抗的な態度をとったため、さらなる暴行につながった。

一方、元旭鷲山貴ノ岩が11月23日に直接電話で話したところによると、錦糸町のバーでのやりとりは、「俺は白鵬に勝った。・・・」といったニュアンスとは全く違っているようです。貴ノ岩は「勝ったからうれしくて頑張らないといけないという話をした」と説明したということです。また携帯電話のことでは、貴ノ岩は「日馬富士が注意しているときに僕が携帯電話で話をしていたというのは嘘です。みんなで話しているときにちょっと携帯電話を触っていたら、急に日馬富士がやって来て殴り始めました」と言っています。

ところで、人が怒るときは、その場では突発的にみえても、今までの不満が積もりに積もっていて、何かのきっかけで、抑止の糸が切れて暴発する、ということがあります。錦糸町の出来事やスマートフォン操作は、貴ノ岩の話したとおりだとしても、本人自身は気のつかないかもしれませんが、そのほかのことで、貴ノ岩日馬富士が腹を立てることを言っているのかもしれません。

貴ノ岩が被害者で、仮りに日頃、加害者である日馬富士を怒らせる言動があったとしても、日馬富士の暴行という事実はなくなるわけでありません。暴行という事実は重いに決まっています。

ただ、今回の事件に限らず、一般的に、被害者側に被害を受けた原因が全くないか、というとそうではないと思います。

被害者である貴ノ岩は、加害者を責めるだけでなく、自分の方にも原因があったのではないか、ということを反省することは大事だと思います。

 

加害者である日馬富士について

貴ノ岩スマートフォンを操作していた、過去にも面白くないことがあった、としても日馬富士は冷静になって貴ノ岩を諌めるべきです。

どんな事情があっても暴行は良くありません。居合せたほかの力士達は、白鵬を含めて、暴行はしていません。

日馬富士は酒ぐせが悪いといわれていますが、もしそうであれば、酒はほどほどにするべきで、そうしなかったためにブレーキがきかなくなって暴行に走ったのかもしれません。そうであればそれが原因ということになります。もしかしてほかにも原因があるかもしれません。

加害者である日馬富士は、暴行を加えた事実を深く心にとめ、その原因をつきとめて反省することが大事です。