生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

生きるとは笑うことなり

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恩師の書かれた「寸感・随咸・補感」の「寸感」から

咲くはワラウという意味(漢字の成り立ちから)

咲(ショウ)という漢字は、もともと、「ワラウ」を表わす文字として作られた。ナヨナヨとした姿勢を示す夭(ヨウ)に、竹カンムリをつけて細いという意味を加え、偏に「口」を置いて、全体として、口を細めてホゝと笑うことを表現したのだ、と、言われている。

竹カンムリは草カンムリに誤記されて今日の「咲」の字が成立するわけであるが、むしろ竹カンムリは、笑の字の方に継承されて、なお、命脈を保っている。

かくて、「咲」は、もともと、「ワラウ」という意味の漢字であった。

 

咲くはワラウという意味(日本の用法でも)

この用法は、日本にも伝えられて、原態・古事記にも、「八百萬神共咲」という一文がある。原態・古事記と断るのは、現代用語に書き改められる前の、もともとの古事記は、全巻、漢字のオン・パレード、悉くが漢字だけで著された作品だったからである。

右の一文は、ヤオロズ・ノ・カミ・トモニ・ワライキと讀むことに、今日では、学説上、争いがないから、わが国でも、「咲」の原義は「ワラウ」であった、と、見て、差支えがない。

 

花が咲くのは、花が笑うのである。

他方、しかし、モノも人も、生気の充溢なしに「ワラウ」ことは出来まい。「ワラウ」ことは、まさに、生気の充溢の証拠である。古くから、山が笑う、という表現が行われてきている。木々が育って、枝を張り、葉をつけ、生き生きと見える山が「笑う山」である。

花が咲くのは、花が笑うのである。花が「サク」の「サク」に「咲」の字が当てられたのは、其処に根拠がある、と、考えられる。

 

生きることは笑うことなり。

以上は「寸感」の冒頭で書かれたものをそのまま載せました。ここから先は難解で浅学菲才の私には正しく理解できませんが、先生は独自の論理を展開され、その後に「ワラウ」と「サク」を同断と見る意識が働かなければなるまいとされ、両者を同断と見る意識と言えば、生気の躍動と笑うことは同じことだとする意識でしかありえまい、とされています(国語学者の考える所によると、「サク」は「サカエ・サカリ」と同根で、「内にある生命の活動が頂点に達して外に形をとって開く」ことを意味する由)。

そして、すなわち、「生きるとは笑うことなり」という意識こそ、人間がすくなくとも日本人が、育み育ててきた意識に他ならない、とされています。

 

歴史を離れ、現代の問題として笑いを考えると

歴史を離れ、現代の問題と見て考察しても、笑いを捨てては「生」の成り立たない次第を知ることができる。先ずは、自分自身がそうではないか。心の弾まないときに生甲斐を覚えることは、ありえないだろう。

そうして、他人を見るとき、事はいよいよ明らかになる。腹の底から笑ったことのない人間は要注意人物である。腹の底から笑うということのない他人から稗益されることは決してないことに気づくがよい。相手は利己的で、親身に君のことなど考えてはいないことを思い知らされよう。(参考 稗益される:助けを受ける)

要注意人物でないかぎり、人は、実は、みずからは知らず、咲笑しているのである。(参考 咲笑:高笑い)だから、人は、先ず「生きるとは笑うことなり」と、覚悟しなければならない。

人は、世の中を、「面白い」と受けとるように、みずから努めなければならない。「生きる」とはそういうことだ。

スポーツ、科学、芸能、実に、我々は、多くの俊材と、同時代に生きているのではないか。これが「よろこび」でなくて何であろう。そうした、同時代の実在の俊材に目を向けること、心してこれを見過ごさないようにすること、それが、世の中を面白いと見る秘訣になるのではあるまいか。ただし、クソもミソも一緒にしてしまっては却って「人間」が毀損される。駄目なものは駄目というケジメが堅持されないと、俊材そのものが、ありえないことになる。

以上の「参考」と「小見出し」は便宜上私がつけています。

 

私の感想

これは、私の大学時代の恩師の書かれた、「寸感・随咸・補感」の中の「寸感」(平成24年11月・先生が90才のときに書かれています)の中からの抜粋です。私の大学時代、先生の「乾ゼミ」が終わると、大学の食堂でコーヒーなど飲みながら雑談するのが慣例になっていましたが、雑談している最中、先生がひときわ高い声で笑っていらっしゃったのを今でもはっきりと憶えています。タイミングが絶妙で、ああいう笑い方はいいなあ、と、その笑う姿を、私は、一種の憧景をもって見ていました。

先生は大変な秀才で、天才とまではいかないかもしれませんが、それに近いといってよいと思っています。能力は群を抜くものでした。その頃、私は、頭のよい人は沢山知っていましたが、これが頭がよいということか、と納得させられる、本当に頭のよい人に出会いたいと強く思っていました。先生は、まさに、私の求めていた、本当に頭のよい人でした。

私は、今までの人生で、先生ほど頭のよい人に出会ったことはありません。波ひとつ立たない海と形容してよいのでしょうか、常に落ち着いていらして、議論をされると、くもの巣をつくっていくように、乱れることなく、きれいに糸をはりめぐらされていました。論理の運びが実に見事でした。もちろん人格も素晴らしく、学生をはじめ多くの人に慕われていました。

私にとって、先生は社会科学における俊材で、先生の話しを聞くことは大変な「よろこび」でした。

「生きるとは笑うことなり」

「世の中を面白いと受けとめよう。そのため、実在の俊材に目を向けよう」

先生、90才の時、「生きるとは笑うことなり」と言い切っておられます。