生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

君たちはどう生きるか-原作は漫画と違うぞ 貧困が主要なテーマの一つ

原作は、当時の社会に横たわっていた貧困を主要なテーマとして、それとの関わりで人間モラルの問題を問うたものであり、著者である吉野源三郎の思想と人格の凝縮したものとなっています。(以下要約しながら解説していきます)

① 時代背景と本書の主要なテーマ

原作が刊行されたのは、1937年です。この年に盧溝橋事件がおこり、日中戦争がはじまっています。日本は軍国主義に染まってゆき、言論や出版の自由が著しく制限されていった時代です。

このような時代に、原作は、次の時代を背負うべき少年少女に向けて出版されています。

著者の吉野源三郎は、原作(本書)の終わりに付け加えられた「作品について」の中で、本書(5巻)を含めた「日本少国民文庫」16巻は、山本有三先生(路傍の石の作者)の、偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた自由で豊かな文化のあることを次の時代を背負う少年少女になんとかつたえておきたい、という思いから刊行されている、と書かれています。

君たちはどう生きるか」は当時の時代背景を抜きにしては語れません。

著者は雑誌「世界」の初代編集長に就任し、いわゆる「戦後民主主義」の立場から、反戦・平和の姿勢で論陣を張り、講和論争では全面講和論にたち、その後、ヴェトナム反戦運動水俣公害反対運動にも参加されています。

著者は、本書で貧困という当時の社会問題を主要なテーマにしています。そして、少年少女にとって、いつの時代にも変わらない、「いじめ」や「友達を裏切る」といったことをモラルの問題として書いていきます。

② 政治学者、思想史家丸山真男の「原作をめぐる回想」から

丸山真男は原作に付載された「原作をめぐる回想」の中で、

君たちはどう生きるか」は、第一義的に人間の生き方を問うた、つまり人生読本です。けれどもこれは決して人間の倫理だけを問うた書物ではありません。

1930年代末の書物に展開されているのは、人生いかに生くべきか、という倫理だけでなくて、社会科学的認識とは何かという問題であり、むしろそうした社会認識の問題ときりはなせないかたちで、人間のモラルが問われている点に、そのユニークさがあるように思われます。

とされています。

③ 本書における全体の構成

本書は、第1章から第10章までで構成されています。

前半の、第1章から第5章では、社会科学的認識を中心に展開されています。第1章、第3章、第4章で人間って分子なのかも、人間分子の関係、網目の法則、生産関係、貧困と続きます。第2章と第5章は、認識の問題から離れていますが、認識の問題とからめてあり、第2章はモラル、第5章は認識を行動に移す、という問題が書かれています。

後半の、第6章から第10章では、少年少女が直面するモラルの問題が中心です。北見君へのリンチ事件が取り上げられ、コペル君の裏切り、立ち直り、新たなスタートと続きます。第9章は、この流れとは違うものですが、前半の第3章、人間分子の関係、網目の法則が昔からあったものとして挿入されています。

④ 社会科学的認識 

人間って分子なのかも

     ↓

人間分子の関係、網目の法則(生産関係)

     ↓

生産関係の中の貧困層の存在

 

本書は、はじめの第1章、第3章、第4章が、全体の土台骨となっており、そこで貧困という大きなテーマが取り上げられ、コペル君を通して若い人達に貧困という社会問題を提起しています。

第1章で、人間1人1人は広い世の中の1分子にすぎないかもとし(人間って分子なのかも)、第3章でその1分子にすぎない人間は、実は、網目のように無数の人と結びついており、それは生産を営む形で結びついているとします(人間分子網目の法則・生産関係)。

そして、第4章で、この生産関係の土台となっているのが、世の中の大多数を占める貧困層であるとし、第1章、第3章でコペル君が発見した人間分子の具現化した人間分子として、コペル君の友達である、豆腐屋浦川君と浦川君の家で働いている若い衆を登場させます(生産関係の中の貧困層の存在)。

そして、著者は、コペル君に立ち戻り、コペル君は浦川君と違って消費専門家であるが、生産に携わっている人とどちらが立派な人間かと問いながら、これから君はどのようにして社会と関わっていくか、と問題提起します。

第1、3、4、章では、丸山真男のいうことろの社会科学的認識が取り上げられているわけです。 

⑤ 第1章 へんな経験 -人間って分子なのかもー

コペル君は銀座のデパートの屋上から、霧雨の中に茫々とひろがっている東京の街を見下しています。甲虫の群れのように動いている自動車やどこまでも続く無数の小さな屋根。そこではコペル君の知らない何十万人という人間が生きています。

コペル君は、一人一人の人間は、広い広い世の中の1分子にすぎないのではないかと考えます。

人間って分子なのかもという見方は、天動説ではなく、地球などの天体は太陽を中心に回っているという地動説によってはじめて可能な「ものの見方」といえます。そして地動説への転換、すなわち自己中心的でなく、自分を離れて判断することは、大人になっても不断に努力していかなければならないと強調されています。 

⑥ 第3章 ニュートンの林檎と粉ミルク(人間分子の関係、網目の法則)

コペル君は、ニュートンのどこまでも考えてゆく取り組みがヒントになって、粉ミルクのカンが、数え切れない大勢の人とつながっていることを発見し、これを「人間分子の関係、網目の法則」と名付けます。

そして、おじさんは、これは学者のいう「生産関係」というものだと教えます。狩りをしたり、漁をしたり、山を掘ったり、ごくごく未開の時代から、人間はお互いに協同して働いたり、分業で手分けをして働いて生産活動をしている。そして、協同や分業は大規模のものとなって、世界の各地がだんだん結ばれていって、とうとう今では、世界は一つの網になってしまっている。このようにして、網目のように結びついている関係が人間の間にあって、これを学者たちは「生産関係」といっている。 

 丸山真男は、「原作をめぐる回想」の中で、これはまさしく「資本論入門」ではないか、と書いています。

また、本章のおじさんのノートの中で、「人間分子の関係」は、まだ人間らしい人間関係になっていない。本当に人間らしい人間関係は、人間同志お互いに、好意をつくし、それを喜びとしている関係だ、といっています。

⑦ 第4章 貧しき友(生産関係の中の貧困層の存在)

人間は網目のように結びついて生産活動をしているが、貧しい家庭の浦川君や浦川君の家で働いている若い衆に言及しながら、生産活動のなかで、この当時貧困という大きな社会問題が横たわっていることを指摘します。そして、ここでは次のことが強調されています」

  • この世の中に貧困というものがあるために、どれほど痛ましい出来事が生まれて来ているか。どんなに多くの人々が不幸に沈んでいるか。またどんなに根深い争いが人間同志の間に生じて来ているか。
  • あの人々こそ、この世の中全体を、がっしりとその肩にかついでいる人たちなんだ。君なんかとは比べものにならない立派な人たちなんだ。あの人々のあの労働なしには、文明もなければ世の中の進歩もありはしないのだ。
  • 君たちと浦川君との、一番大きな相違は、浦川君はまだ年がいかないけれど、この世の中で、ものを生み出す人の側に、もう立派にはいっている。これに対して、君は現在消費ばかりしていて何も生産しない。君たちは目下消費専門家である、という点だ。
  • 自分が消費するものよりも、もっと多くのものを生産して世の中に送り出している人と、何も生産しないで、ただ消費ばかりしている人間と、どっちが立派な人間か、どっちが大切な人間か、-こう尋ねて見たら、それは問題にならないじゃないか。

⑧ 第1章、第3章、第4章のまとめ

第1章で人間は一つの分子にすぎないとし、第3章でその分子である人間は網目のように結びついて生産関係を営んでいるとする。そして第4章でその生産関係の中で貧困層が存在しているが、この人たちは多くの人が不幸に沈んでいる。しかし、この人達こそ世の中の全体をがっしりとその肩にかついでいるとします。

以上の社会科学的認識を踏まえて、それでは君たちはどうするか、と問題提起されています。

⑨ 第2章 勇ましき友(油あげ事件・いじめ)  

第1章、第3章、第4章が、人間って分子なのかも、人間分子の関係、網目の法則、生産関係の中に横たわる貧困層の存在、と続きますが、この一連の中で、第2章は少年少女にとっての普遍的な問題である「いじめ」の問題ですので、直接的には関係のないものといえます。

しかし、著者は一連の社会認識のうえに立って、少年少女に最初に言っておきたかったことは、第2章のおじさんのノートの中にある、体験から出発して考えてゆくことの大切さということではなかったのか、と思います。著者は強い信念で、経験の中に真実の思想が形成されるといっています。

また、「いじめ」が、まわりの級友は裕福なのに浦川君は貧乏であるということが一因となっておきていることで、この章に取りこんでいると思われます。

さらにいえば、浦川君へのいじめをただ傍観するのでなく、北見君が勇気を出していじめっ子の山口君をやっつけることを挿入することで、少年少女に社会認識への関わり方を説いているのかもしれません。

⑩ 第5章 ナポレオンと四人の少年(行動が認識を価値あらしめる)

第5章では、水谷君の大きな家の様子が描かれ、浦川君の貧乏に対して、水谷君の富裕を書くことで、富裕と貧乏という階級が存在することが示されています。

続いて、水谷君のお姉さんが登場し、ナポレオンの英雄的精神が熱っぽく語られています。つぎにおじさんのノートの中でナポレオンの一生について書かれ、前半生は人類の進歩に役立ったが、後半生は多くの人を苦しめるものになったとされています。

英雄と偉人で本当に尊敬できるのは、人類の進歩に役立った人だけだと留保しながら、英雄的精神とナポレオンの前半生の中で、彼の勇気、決断力、意思の強さを賞賛し、彼の行動、活動力に感嘆しています。

第1章~第4章に続いて、第5章でナポレオンが登場したのは、いささか違和感を覚えますが、第1章~第4章との関係では、社会に貧困層が存在するということを、単に認識するということにとどまらないで、行動に移してこそ価値があるのだ、ということで第5章が続くとみることができます。

英雄的精神も空しいが、英雄的気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。

ナポレオンを登場させて、その決断力、活動力について賞賛しているのは、丸山真男の指摘では、当時の時代的圧力によっていると考えられるということになります。

そうには違いないでしょうが、著者は、左翼的立場に立ってはいても、個人として、ナポレオンの飛び抜けた能力に魅きつけられるものがあったのではないでしょうか。

著者の周囲には、戦争に反対する者、貧困を憂う者は多くいましたが、ナポレオンのような行動力をもった人はいなかった、ナポレオンとまではいかなくてもそれに近い人が1人でもいれば時代を動かせたのに、ということを思っていたのではないでしょうか。

そのことを将来を担う少年少女に発信したかったのではないでしょうか。そう思われるほど、本章では、ナポレオンのことが熱く語られています。

⑪ 第6章 雪の日の出来事(リンチ事件)

     第7章 石段の思い出(人間の悩み、過ちと偉大さ)
     第8章 凱旋 

第6章、第7章、第8章では、少年少女向けに、少年少女が共通して遭遇する「友人との固い約束を裏切り、そのことで悩みに悩み、そこからどのようにして立ち上っていくか」というモラルの問題が取り上げられています。

そうして、悩みを克服し解決するのは、人間が本来もっている、自分を自分で決定する力によるとします。

僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。だから誤りを犯すこともある。しかし-僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。だから、誤りから立ち直ることも出来るのだ。

丸山真男は回想の中で、次のように書いています。

人間が自分の行動を自分で決定する力を持つことの両面性-だから誤りを犯すし、だから誤りから立直ることもできる、という両面性の自覚が「人間分子」の運動を他の物質分子の運動と区別させるポイントだ、と駄目を押すことで、「おじさん」は(友人との約束をめぐっておこった)モラルの問題をふたたびコペル君の発見した「網目の法則」の-つまり社会科学的認識の問題につれもどす、というのが、この作品の立体的構成になっているわけです。

ある日の放課後、北見君が誤って雪だるまをこわしたことで、北見君を、日頃生意気だと見ていた上級生が北見君に制裁を加えますが、このとき、水谷君と浦川君は北見君をかばい一緒になって制裁を受けますが、コペル君は黙って見過ごしてしまいます。コペル君は、4人で一緒に殴られようと固く交わした約束を守らなかったのです。

コペル君は「卑怯者、卑怯者、卑怯者」という無言の声に苦しみます。3人の仲間に対してどうしたらいいか、悩みます。

悩みに悩んだ末、おじさんの、今すぐ手紙を書いて、男らしく勇気を出してあやまるんだ、という言葉に背中をおされ、コペル君はとうとう北見君に謝罪の手紙を出します。

それから4人は再び仲よくなりました。

コペル君のお母さんは、石段の思い出をコペル君に話してきかせ、石段をのぼっていたおばあさんに、手をさしのべそこなったにがい経験が、こんどこそにがい思いを生かしていこうと、お母さんの背中を押してくれることがある、にがい経験をしてよかった、といってコペル君を励まします。おじさんはノートの中で、自分の過ちを認めることはつらい。しかし過ちをつらく感じるということの中に、人間の立派さもあるんだ、といってコペル君を励まします。

⑫ 第9章   水仙の芽とガンダーラの仏像

      第10章  春の朝

ガンダーラの仏像で、千何百年の昔に、ギリシャ文明が日本に伝わっていることが証明され、人間の結びつきが遠い昔から、遠い国との間にまであったことが書かれています。人間分子網目は現在(第3章)だけでなく、遠い過去(第9章)からあったのであり、その様相は壮大です。コペル君は、何百万人という人々(人間分子網目)が早朝から仕事に取りかかっていることを想像して、おじさんのノートならぬコペル君のノートに自分の感想を書いてゆきます。

僕は消費専門家で、なに一つ生産をしていませんがいい人間になることは出来ます。自分がいい人間になって、いい人間を一人この世の中に生み出すことはできます・・・

⑬ 今日的問題 

原作では、人間いかに生くべきかという倫理の問題だけでなく、社会科学的認識とは何かが問われ、貧困が主要なテーマになっています。

しかし、今日では、当時のような富裕と貧困の階級の溝は存在しません。また、「生産関係」を中心に社会を見てゆく見方そのものがもはや時代おくれになったともいえます。

しかし、世界を見渡すと、アフリカなどの低開発国では多くの貧困層が存在します。最近では難民の問題が深刻です。日本では当時のような貧富の差はなくなっていますが、このところさまざまな領域で格差が拡大しています。また減少傾向にあるとはいえ、毎年たくさんの自殺者が出ており、とくに若年層の自殺率が高いといえます。また、テレビでは、子供が親を殺すといった、以前にはあまり見られなかった近親者による犯罪がしばしば報道されています。

以上の今日的社会状況の中で、私達は社会をどのように認識し、どのように社会と関わっていくべきなのでしょうか。

 

当ブログでは以下のものも掲載しています。是非読んでみて下さい。

君たちはどう生きるか-漫画・原作・要約・名言そして感想(2018/03/09)

君たちはどう生きるか 補欠・不覚の涙など 私の3つの経験と思想(2018/04/17)

 

参考文献

 

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