生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

極上の孤独/ ゴッホの孤独は底なしの寂寥感 都会育ちのインテリの孤独とは違うぞ

誰もが考えておかなければならない「孤独」について、本書は示唆に富むものです。

「孤独」になじみ、「孤独」を受け入れるのは、都会に育ち、本に囲まれて幼少期を過したインテリ、これに対し、「孤独」を厭い、避けようとするのは特に田舎育ちの人。前者はごくごく少数。大雑把にいえば、そういえるのではないでしょうか。

私は、田舎育ちで家が商家、「孤独」に親しめない部類に属しますが、「極上の孤独」というタイトルに興味がそそられ、本書を購入しました。「孤独」ということをじっくり考えておきたいと考えたからです。

著者の下重暁子さんは、NHKアナウンサー、民放キャスターを経て、現在は文筆活動をなされています。下重さんは、子供時代はいつも1人であったということです。小学校2年生で結核にかかり、ほぼ2年間は疎開先の自宅の1室で安静にしているほかなく、友達と遊ぶこともなかったといいます。1人で蜘蛛を観察していて、その技に見惚れて退屈しなかったこと、隣の部屋から母の目を盗んで、父の本を持ち出しては、芥川龍之介太宰治などを読めもしないのに、1ページずつめくっていたそうです。それに家が転勤族で、2、3年おきに住所が変わり、学校に馴れた頃には、変わらねばならず、別れが辛くて同級生と仲良くならない術を身につけていた、ということです。

子供の頃の孤独な環境が、大人になって大きく影響したと思われますが、下重さんは「孤独」を受け入れ、さらにすすんで、「孤独」を愉しまれています。

「孤高」「自由」「群れない」「媚びない」生き方を実践されています。

  

 目次

1 「孤独」とは何か

2 「孤独」を味わう

3 中年からの夫婦2人の生活

4 亡き母のこと

5 本書を読んで 私の生き方  ゴッホの孤独

 

「孤独」とは何か 

「なぜ私は孤独を好むのか」(第1章)、「孤独と品性は切り離せない」(第4章)の中で書かれていることは、「孤独」を理解するうえで、示唆に富むものです。

 

「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」

「咳をしても1人」

孤独と向き合う時間こそ貴重である。自分の心の声に耳を傾ける時間を持つことで、自分が何を考えているのか、ほんとうは何を求めているのかなど、ホンネを知ることが出来る。孤独とは1人でいることではなくて、生きる姿勢なのである。

 

「淋しい」と「孤独」は違う。

淋しいといえる段階は・・・自分の淋しさを埋めてくれる人を探す。家族、友人、知人、そして最近ではネット上でそれに応えてくれるような人・・・。

淋しいとは一時の感情であり、孤独とはそれを突き抜けた1人で生きていく覚悟である。

  

「孤」の時間を持つことが出来ているか、自分に問いかけてみよう。その上で少しでも、その時間を増やしていく。その努力なしには決して「個」は育たないし、魅力的にはなれない。

  

日本人は孤独嫌いが多い、孤独死など、世の憐れみと涙を誘う。日本では畳の上で死にたいという人が多く、自分の家で家族に看とられて死ぬのが理想と思われている。私はそうは思わない。他人にわからずとも、孤独でいることに誇りを感じる人は、人として成熟しているのではなかろうか。

  

品とは何か。

精神的に鍛え上げた、その人にしかないもの。賑やかなものではなく、静かに感じられる落ち着きである。

一見、孤独と品とは関係なさそうに思えるが、品とは内から光り輝くものだと考えれば、輝く自分の存在がなければならない。自分を作るためには、孤独の時間を持ち、他人にわずらわされない価値観を少しずつ積み上げていく以外に方法はない。

 

そのほかに「孤独を知らない人は個性的になれない」「孤独とは思い切り自由なものだ」「個性的な人は多かれ少なかれ奇人、変人」「孤独を知る人は選ばれた人」等々。

 

孤独を味わう

下重さんは、「極上の孤独を味わう」(第2章)の中で、孤独を味わう自分を紹介されています。

小学校2年と3年のときは、結核で自宅の自分の部屋で1人寝ていたが、そのとき蜘蛛に夢中になった。新幹線などで地方に出かけるときは読書がはかどる。車中で俳句を作ることもある。新幹線は1人で乗りたい。列車の中は昔の恋を反芻する大切な場所だ。「話の特集句会」や「東京やなぎ句会」に1人で出る。永六輔さんをはじめ素敵は人は男女を問わず、1人が多い。私は句会で俳句がなかなか出来ない場合、締め切りの10分前にトイレに行くことにしている。最終的にトイレでまとまったものの出来はよく、好成績につながる。・・・

 

中年からの夫婦2人の生活

「中年からの孤独はどう過すか」(第3章)の中で、下重さんは自分とつれあいの2人の暮らしぶりを紹介されています。夫婦2人になったら、もっと自由になって、1人のような暮らしを始めたほうがいいとされ、それを実践されています。

寝室を分けることは成功だったとされ、比較的朝が早く夜も早いつれあいと夜は遅く朝も遅い下重さんとで、お互いのペースを崩されないように暮らされています。例えば、夜は7時か8時、9時頃からNHKとテレビ朝日でニュース番組を見て、つれあいが自室に引きあげてから、下重さんは自分1人だけの時間を過される。・・・

 

亡き母のこと

「孤独の中で自分を知る」(第5章)の中で、81才で亡くなられたお母さんについて書かれていますが、そのところは私の胸を打ちます。以下は下重さんのお母さんが詠まれた短歌です。

 

待つことも待たるることもすでになく 雨のネオンのうるむ街ゆく

街に出て薔薇色の生地購いぬ老いの淋しさ身に沁むる日は

闇の中覚むれば孤独がしんしんと老の体を音たてて打つ

人の世のなべてのことに堪えて来し今さらわれに物おじもなし

 

お母さんは、目に見えない女旅芸人の瞽女や郵便配達の人が泊まっていくような家で常に人に囲まれて育ち、また、暁子命を他人に見えるほど、私のこととなると見境がなかったといいます。そのお母さんが、下重さんと別居して等々力の家で1人暮らし。夜中は特に孤独で、想像を絶する淋しさだったかもしれません。私が思うに、下重さんのお母さんは、娘のために、必死に孤独に堪えておられたのでしょう。その姿が思い浮かび、何とも言えない気持ちになりました。

 

本書を読んで 私の生き方    ゴッホの孤独

私は、田舎育ちで家が商家なので、幼い頃は大勢の人の出入りする中で暮らしていました。なので「孤独」はなじめそうにありません。どちらかというと賑やかなほうが性に合います。

しかし、一方で、「群れる」自分もいますが、なかなかどうして「群れない」自分もいます。「孤独」のもつ、1人で生きていく覚悟や潔さは私を魅きつけます。人間は所詮1人ですが、他方1人では生きてゆけません。個人を確立し、そして共感できる人を大切にしていくことが私の生き方です。生涯それを追い求めていきたいと思っています。

本書の中で、「孤」の時間を持つことが出来ているか、自分に問いかけてみよう、というくだりは、ハッとさせられました。本書を読んで、私にとって一番良かったところです。

孤独死」について、下重さんはどういうお考えなのでしょうか。本書の中からは、孤独死を厭わない、という考えのように思われますが。・・・

私は、自分の家で家族に看とられて死ぬのが理想だと思いますが、もっとも今は病院で亡くなるのが殆んどのようですが、それはよしとして、人と没交渉の結果、長い間、人に発見されない状態で孤独死するのは望みません。それでも、人におもねない生き方の結果であればそれもよし、理想的にはそう思いたいと考えます。

「孤独」というと、版画家棟方志功がテレビの中で、ゴッホの孤独について語った言葉が忘れられません。「ゴッホほど孤独というものを知っている人はいない。ゴッホの絵を見ていると、底なしの寂寥感、あまりの寂寥感に驚愕してしまう。ゴッホは寂しい、言いようがなく寂しい」棟方志功は、ゴッホの絵を見て、感情が揺さぶられるのです。頭で理解するのではありません。現に感情が動くのです。 

 

当ブログで以下のものを掲載しています。是非読んでみて下さい。

棟方志功の感性 孤独、路傍の小さな花(2016/10/12)

 

極上の孤独 (幻冬舎新書)

新品価格
¥842から
(2018/6/15 16:07時点)