「利便性」と「快適性」を秤(はかり)に掛ける
私達は、衣食住、いずれにおいても、「利便性」か「快適性」か、どちらかに比重を置いて選択しています。
「利便性」と「快適性」という二つの物差しを尺度として行動していることに気がつきます。
意識的にせよ無意識的にせよ、ある行動に出ようとするときは、大抵の場合、ほかの尺度もありますが、上の二つの尺度は使っているといってよいと思います。
そして、時代が進めば進むほど、とくに若い人を中心に、その選択は、「快適性」よりも「利便性」に比重が移っています。
それも飛躍的なスピードでです。
これは驚くべきことです。
住まいの選択について
ここで、住まいの選択についてふれてみたいと思います。
住まいの選択で、この10年から20年の間に起こっている注目すべきものとして、「大規模住宅団地の値崩れ現象」と「パワービルダーの登場」があります。
「大規模住宅団地の値崩れ現象」
東京近郊で、昭和40年から昭和50年にかけて、大規模な住宅団地が開発され、分譲されていますが、その住宅団地で値崩れ現象が起きています。
一例を挙げると、千葉県の東急柏ビレッジでは、平成20年、21年に大幅な値崩れが起こり、一時値下りは小さくなっていましたが、平成27年から再び大幅な値下りが生じています。
大規模住宅団地には、つぎの特徴があります。
・バス便 都心から遠く且つバス便
・1区画が大きい 50坪以上で庭つき
・住環境が良好 区画整然としている
・住んでいる人 高齢者が多い
値崩れ現象が生じた原因は
住んでいる人は高齢者が多くなり、彼等は、利便性のよい駅近のマンション等に移っていきます。これに対し、30才~40才の一次取得者は、利便性の劣る大規模住宅団地には興味を示さず敬遠します。
供給は出るが、需要は弱い、という基本的な構造が続いています。
「パワービルダーの登場」
パワービルダー(一次取得者をターゲットにした床面積30坪程度の土地付一戸建住宅を2,000万~4,000万程度の価格で分譲する建売分譲業者を指す)が首都圏を中心に勢力を伸ばしてきたのは、1990年代後半の、経済低迷期が始まってから10年近く経った頃です。急成長をとげ、住宅の供給戸数は、業界首位の積水ハウスを大きく上回っています。パワービルダーは、つぎの特徴があります。
・徒歩便 都心に近く且つ徒歩便
・1区画が小さい 30坪~40坪で庭ナシ
・住環境は普通 整形地のほかに旗竿地が見られる
・住んでいる人 30才~40才の若年層
パワービルダーが勢力を伸ばした原因は
30才~40才の一次取得者が購入できる予算内に売買金額がおさまるという経済的理由がありますが、一次取得者のイメージする以下の住宅に適合していることが考えられます。
- 利便性のよいところ。駅から歩けるところで徒歩10分以内、ギリギリ15分以内。駅も都心から利便な駅。
- 土地は広い必要はない。30坪~40坪でかまわない。しかし駐車場スペースは欲しい。広い土地で庭いじりをすることは避けたい。共稼ぎであれば、庭いじりする時間は作れない。
- 住環境はほどほどでかまわない。住宅は自分達一代限り、子供に残すことは考えない。
大規模住宅団地とパワービルダーにおける買主の選択基準
昭和50年、60年代は、「団塊の世代」を中心に、彼等は、通勤に都心から1時間半から2時間近くかけても「郊外の庭つき住宅」を求めました。
平日は残業に残業で、楽しみは休日の一家団欒、庭いじりであったのです。
彼等は「利便性」より「快適性」を選択したのです。
これに対し、現代は楽しみは多種多様であり、便利なところにお金を分散させます。結果として、土地は狭くてかまわないから、都心に近くて駅から歩けるところ、すなわち「快適性」より「利便性」を選択します。
住まいは、「都心から1時間半、2時間かけても庭つき住宅」から「庭なしの住宅で都心に近いところ」に移っています。
住まいの選択は、「快適性」から「利便性」にカーブが切られており、その様変わりには驚くほかありません。
住まい以外の選択は
「衣」についても、「食」についても、私達は知らず知らずのうちに、「快適性」か「利便性」か、どちらかに比重を置いて選択していますが、ここでも、「快適性」より「利便性」に比重が移ってきていることに驚かされます。
衣服は、ユニクロが売り上げを伸ばすところをみると、高級品(快適性)よりも低中級品(利便性)を数多くそろえ、数多い分、快適ともいえなくもありませんが、むしろ、多様な用向きにチョイと合わせられて便利、ということを選択する傾向にあると思われます。
食事についても、以前のように手作り(快適性)というよりも、冷凍食品を組み合わせたり、外食をしたり(利便性)ですませることが多くなってきています。
社会の流れは「快適性」から「利便性」に
衣食住について、「快適性」から「利便性」に比重が移っていることを書いてきましたが、考えてみますと、社会の進歩は、「利便性」の向上という視点でみることができます。
代表的なのは交通手段で、これはまさしく、社会の進歩とともに利便性の向上があります。徒歩、自転車、電車、自動車、飛行機と続き、より遠く、より早く、私達を運んできました。
より便利に、より便利になっています。
また情報伝達も、新聞、ラジオ、テレビと続いて、今は、インターネットが大きな役目を果しています。より広く、より早く、私達に情報を伝えます。
これも、より便利に、より便利になっています。
「利便性」を追う社会の大きな潮流の中での私達の生き方
これまで、私達は「利便性」を追っていることに急であることを書いてきましたが、そういう状態にあることを正しく認識して、さて、その中で私達はどう生きるか、ということを考えてみたいと思います。
「利便性」が悪いというのではありません。利便ゆえに快適だというのがあります。そして、そもそも「利便性」を追う社会の潮流に、私達は逆らうことはできません。したがって、「利便性」は積極的に享受すべきです。
しかし利便は手段であって目的ではありません。私達が求めるのはあくまで快適のはずです。利便はともすると息が詰まり、ストレスを生む側面を持っています。「利便性」を求める中にあっても、本来求めたい快適のことに思いを馳せるゆとりが欲しいものです。
いま、仮に利便は「時間軸」で、快適は「空間軸」で捉えるとしますと、私達は「時間」を無視して「空間」に遊ぶことがあってもよいと思うのです。
例えば旅行は、「時間」の経過を横にうっちゃって、経済的な「時間」は無視して、「空間」の広がりを楽しむことになります。「利便性」を無視して「快適性」を求めるのは、旅行にかぎらず、習いごと、芸術鑑賞、スポーツ等々、たくさんあります。
日常生活の中でも、例えばちょっと日用品の買物を、近くて便のよい店ですませるばかりではなく、少々遠いが美味しいものを売っている店に出向いてみる、といった具合に、「空間」を広げて、「快適性」を求めることができます。
「利便性」、「利便性」を追う中にあって、のんびりとした「時間」をつくり、「行動半径を広げる」ことを意識的につくるということで、快適を享受する。
早口ではなく、ゆっくりと話す。せかせか歩くのではなく、のんびりと散歩する。
「利便性」を求めるのに急である現代の社会の中であればこそ、「快適性」をどうしたら享受できるのか、私達の今日的課題といってよいのではないかと思います。