生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

正義  多数派が正義で少数派が不正義か

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活発な人とおとなしい人

A集団はテキパキと動く活発な人が多く、おとなしく意思表示が殆んどない人は少ない。ここでは、活発な人は、おとなしい人を、トロイとかグズとかいって敬遠します。活発な人の意見は多数派で正義であり、おとなしい人の意見は少数派で不正義です。

B集団はおとなしく落ち着いた人が多く、チョコマカと動く活発な人は少ない。ここででは、おとなしい人は、活発な人を、気ぜわしく落ち着きがないといって敬遠します。おとなしい人の意見は多数派で正義であり、活発な人の意見は少数派で不正義です。

私達は多数派であったり、少数派であったりします。私達は誰しも自己の存在を擁護するために、自分が正しいと主張しようとしますが、場面場面で、俯瞰すれば、多数派に属していたり少数派に属したりします。正義と不正義は存在すると思いますが、境界線の曖昧なこともあり、日常の生活のなかでは、同じ行動が、多数派に属して正義であったり、少数派に属して不正義であったりしているのではないでしょうか。

 

几帳面な人と雑把な人

A集団は几帳面な人が多く雑把な人が少ない。そうすると几帳面な人は、雑把な人に対し、自分一人のことを考えるのではなく他人に気持ち良くしてもらうために、整理整頓をきちんとしなさいといいます。それはもっともなことであり、正義であるので、この主張が通ります。

B集団は雑把な人が多く几帳面な人は少ない。そうすると雑把な人は、几帳面な人に対し、そう四角四面に考えられてはたまったものではない、整理整頓も過ぎると気持ちが落ち着かないといいます。これももっともなことであり、正義であるのでこの主張が通ります。

ここでは、整理整頓の度合いにもよるでしょうが、私は整理整頓をきちんとすることの方に軍配が上ると思います。しかし雑把な人が多い集団では、ともすると几帳面な人は隅に追いやられます。

 

少数派に手を差し伸べる

私達は多数派に属したり少数派に属したりしています。私達が多数派に属しているときは、そのことを考え、つまり、たまたま正義の集団にいるに過ぎないことを思って、少数派の人を思いやることがきわめて大切なことだと思います。時と場所が違えは、自分が少数派になることもあるのです。少数派に手を差し伸べることはその人の人間性を高めます。