生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

人生は蒔いた種どおり 親の介護をするのはどの子供

人生は蒔いた種どおり

「人生は蒔いた種どおり」この言葉は私の人生航路で大切な指針となるものの一つです。

何かにぶち当ると、この言葉を引き出して、自分のそれまでの行動を分析し、反省します。そうするとすべての結果を自分に受け入れることができます。

 

今の境遇は

自分の現在おかれた状況は、すべて自分が蒔いた種どおりになっています。

私がサラリーマンになったのも、途中で独立して自営業を営んでいるのも、すべてそうです。私は自営業をやって、大きな稼ぎはありませんが、そこそこ稼いでいます。全て自分の蒔いた種どおりであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

健康でも当てはまります。病気を患っても、それは自分の不摂生のせいであり、さらにいえば、心身の鍛錬不足のせいであり、そのほかの何ものでもありません。良い医者と巡り会うか会わないかも、病いを克服するかしないかも、何にしても、結局は自分が蒔いた種どおりとなります。

それなら天災にあって亡くなった人は、まさかそれまでも自分の蒔いた種どおりというわけではないでしょう。そうかもしれません。しかし、天災の起きそうな場所に住居を構えていなかったのか、常日頃、天災に備えて避難の準備をしていたのか、家の倒壊がないように補強工事を行っていたか等々、考えてみますと、これらは自分でできた部分が大きいのであり、そういう意味では天災にあって亡くなるのも被害を蒙るのも自分の蒔いた種どおりといえなくもありません。

 

腹が立つのを他人のせいにしていたが

私達は人との交わりで喜びもし、悩みもします。

以前、私は他人に対して腹が立つと、それは殆ど他人のせいにしておりました。例えば、お世話をしたのに、相手にそげない対応をされたときは、あれだけ世話をしたのに何てやつだ、と思って腹を立てていました。

しかし人は、殆んどの場合、自分に納得づくで行動します。彼が期待どおりの行動をしなかったのにはそれなりの理由があったはずです。

自分のしたお世話は、結果として彼を振り向かせない程度にすぎなかったのです。彼に腹が立つよりも、そのことを考えるべきで、彼を期待どおりに動かせなかったのは、いわば自分の蒔いた種どおりなのです。

このように考えるようになってからは、以前ほど人に腹が立たなくなりました。そして、以前にも増して、人との関係が良い関係となりました。

 

親子の関係でも

親子の関係でも、人生は蒔いた種どおりということを示すものがあります。

親が老いていったり、大きな病気をしたりするとき、数人いる子供のうち主に世話をするのは1人ということが多いのですが、それがどういうわけか、以前はわかりませんでした。

しかし、人生は蒔いた種どおり、ということで諒解しました。ほかの子供が親孝行しないというのではありませんが、親がもっとも気にかけ世話をした子供が中心になって介護するのです。自然の成り行きです。親の立場からいえば、親自身が蒔いた種どおりに子供が親孝行をしているのです。