人生の消息
人生。
何が起きるかわからないのが人生。
いかに心の修行を積み重ね、身体を鍛錬しようとも、生きているかぎり苦悩と縁を切ることはできません。
人生の時間を大まかに分けると
生きている時間を大まかに分ければ、ただ日常の繰り返しで可もなく不可もなく過しているとき、困難にぶち当って苦悩しているとき、目的を実現するなどにより喜びに浸るとき、以上のどれかに当てはまるのではないでしょうか。
苦悩
困難にぶち当って苦悩している時間は長いときもあれば短いときもあります。しかし、苦悩とは生涯縁を切ることはできません。苦悩は忘れたころにやってきます。
多くは時間が解決しますが、苦悩に出会っては「青菜に塩」ではなく、落胆をしないで勇気をもって立ち向っていく。わかっていてもなかなかできることではありませんが、落胆を自分の糧として乗り切っていきたいとおもっています。
喜び
私達は、仕事なり家庭のことなりで、大なり小なり目的をもちその実現を目指していきます。そして実現したときは喜びに浸り幸福になります。
しかし喜びはその質や程度によるでしょうけれどもそう長くは続きません。実現すると実現する前の気持ちがどんなものであったかを忘れて、実現したことが当然のことのように思ってしまいます。そして何かを実現しても、次から次へとより高い目標が出てきて際限はありません。
可もなく不可もなく
人生は苦悩があり喜びがあるのですが、何もない、可もなく不可もない時間が大半を占めます。この時間をどのように捉え、考えるかは、私達にとって意味のあることではないかとおもっています。
そして何の悶えもないときは、実は人生にとって一番幸福な時ではないか、とおもっています。
何もないときは、何もしないのではなく、時間をつくって心の修行、身体の鍛錬をしていかなければなりませんが、何よりも幸福であることを知り、感謝することが大切であると考えています。
インド北東に位置する「ブータン」の初老の人の言葉。「生きてるだけで十分仕合わせだ。それ以上何を望もうというのか」