生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

恩師のお墓参り

7月9日(日曜日)、私は大学時代に民事訴訟法を教わった恩師のお墓参りに行ってきました。

先生は昨年、平成28年の6月11日に94歳でご逝去されました。生前、ご家族に、万が一のときは「葬儀はするな、人に知らせるな」としておられたとのことで、それもあってのことでしょうが、仲間からの風の便りでご訃報を知ったのは、夏を過ぎて秋に入ってからのことでした。すぐにお墓参りに行こうと思いましたが、ついつい行きそびれて、お墓参りをしたのは、1周忌を少し過ぎていました。

お墓は、東京都が運営する府中にある多磨霊園の中に、新しく設けられていました。JR中央線「武蔵境」駅を降りて西武多摩川線に乗り換え、2つ目の駅の「多摩」駅を下車し、そこから7分ほど歩いて行きました。墓地に着くと、蝉の声が聞こえてきました。

お墓は、〇区〇種〇側にあり、周囲はひっそりとしていました。墓石には〇〇家之墓ではなく〇〇墓と3文字のみ刻まれていました。

先生らしいお墓だと思いました。

私は1人でお墓参りをしました。時間をかけて、墓地の掃除を行い、花立に水を入れて、花を挿し、線香皿に線香を寝かせて火をつけ、水鉢に水を注ぎました。そして手を合わせて拝みました。

1人ですので誰にも遠慮することがありません。私は心ゆくまでお墓参りをさせていただきました。先生に何度も何度も感謝の気持ちを述べました。思い切り述べました。先生は、紛れもなく、人格、識見とも群を抜いて一流の人でした。

人の幸福の一つに、良い師匠に巡り合えることがありますが、私にとって先生に巡り合えたことは本当に仕合わせなことでした。先生から数多くのことを学ばせていただいたこと、私ごとのお世話までしていただいたこと、感謝しても感謝しきれないことです。

先生との出会い、先生から学んだことについては、すでにいくつかを当ブログに載せましたが、時にふれてまた書いてみようと思っています。

私は、まだ先生がお亡くなりになったことが、信じられないでいます。

先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。