生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

癒し 懐かしい  「今夏、はじめて出会う海」

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島根半島の海水浴場の海

私が中学生や高校生の頃です。私は島根県松江市の市街地に住んでいましたが、夏になると島根半島日本海に面した「恵曇」や「北浦」の海水浴場に1人でバスに揺られて行っていました。どちらの海水浴場かはっきり覚えていませんが、そこはバスで降りるとすぐのところにあります。
バスから降りて歩いていると、砂浜に沿ってほんのわずかな家が建ち並んでいるのが見えてきます。そして、どちらからともなく干し魚の独特の臭いがプーンと鼻を突いてきます。
家と家の間の細い路地を通っていくと、その先きに今年はじめての海が目に飛び込んできます。はじめて出会う海は砂浜と青空に挟まれ、くっきりと静かに横たわっています。おお海だ!私は心の中で叫んでいました。
家並み、干し魚の臭い、路地、今年はじめて出会う海、私は何ともいえない気持ちになりました。この気持ちってなんだろうとおもいました。爽やかな気持ち、心弾む気持ち。少し違う。一体何だろう。
ある日、懐かしいという言葉が浮かんできました。「懐かしい」この言葉がピッタリでした。

東南アジアタイのゴルフ場の小川

30年も前になりますが、私は友人と2人で東南アジアのタイを旅行したことがあります。タイの北部で地名ははっきり覚えていませんが、そこでゴルフをしました。そのゴルフ場のフェアウェイは学校運動場みたいで、そこには大きな落葉が一面に敷きつめられていました。これには驚いてしまいました。こんなところでゴルフができるのかなあと思いました。幸いキャディーさんがボールの飛んだ先をしっかりと見届けてくれましたので、何とかかんとか、ゴルフの真似事みたいなことはできました。
そのゴルフ場の中に幅が1mくらいの小川が流れているところがありました。それを見たときに、私は妙な感覚に襲われました。これって何だろうと考えていると、何となく懐かしい気持ちになりました。しかしそのときは何かは解りません。
ある日、何の前ぶれもなく田舎の小川の風景が浮かんできました。私は小学生の高学年の頃、夏休みになると、島根県の出雲にある親戚のうちに1週間ぐらい泊りがけでいきましたが、その時によく遊んだ小川とゴルフ場の小川がよく似ていました。あ、これだ、これだ、「懐かしい」と思ったのは、このことだと思いました。

「懐かしい」とは

生命の源である海は母の子宮の中の羊水であり、そのため懐かしさを覚えたのであろうか。今夏、海とのはじめての出会いが干し魚の臭いと重なって、羊水を想い出させたのであろうか。
子供の頃の風景は強く心に印象づけられ、心の奥底に潜っていたものであり、これを想い出し懐かしく思ったのであろうか。
いずれにしても、「懐かしい」という感情は、心の底の部分で、私を癒してくれます。