生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

度胸(新幹線の生みの親、十河信二)

f:id:kanyou45:20170803105950j:plain

 

テレビ放映 ー新幹線の父 不屈の闘い- 

本年(平成28年)の10月2日、NHKBSテレビのドキュメンタリー番組で、新幹線の生みの親といわれる十河信二のことが放映されていました。テレビを見て、私は久し振りに感動しました。十河信二の度胸におったまげました。「男は度胸、女は愛嬌」といわれますが、これほどまでに度胸をもった男がいたとは、その度胸はまさに天文学的です。果して、今の世の中で、これほどまでの度胸をもった男がいるのかしら、と思いました。

 

十河信二国鉄総裁就任 

洞爺丸事故や紫雲丸事故という一連の事故で第3代国鉄総裁が引責辞任した後、後任の成り手がなかなか見つかりませんでしたが、第4代国鉄総裁として白羽の矢が立ったのは国鉄OBの十河信二でした。十河は、一度は71才という高齢(71才ですよ)と病後を理由に総裁を固辞しましたが、同じ四国出身の政治家三木武吉に説得され、やむなく引き受けました。

 

新幹線計画の推進 

十河が国鉄総裁に就任した当時、国鉄では行き詰った東海道線を増強する案が検討されていました。「狭軌複々線案」と「狭軌・別線案」、「広軌・別線案」と3つの案があり、狭軌案は、線路容量が不足する区間から逐次線路を増設でき、輸送力増強の即効性と経営の安定性から優っているとし、この案が当然とされていました。しかし、十河は今の新幹線である、広軌・別線案を考えていました。国の復興のためには新幹線が必要だと考えていたのです。そうして、新幹線に乗り気でなかった当時の国鉄技師長に変えて、以前「弾丸列車計画」の設計を担当していた国鉄OBの技術者島秀雄国鉄副総裁・技師長に迎え入れ、新幹線の設計に当らせました。また島と弾丸列車計画時代に共に働いた大石重成に用地買収の任を委ねました。

 

政治家の説得と国鉄内部の説得 

新幹線実現に強力に反対していた政治家に河野一郎がいました。十河は老体に鞭を入れ、自ら、夜討ち朝駆けで説得に向かいました。国鉄内部は狭軌派で占められ、新幹線には強く反対でした。島の提案で、鉄道技術研究所により「東京-大阪3時間の可能性」というテーマで講演会を開き、立ち見が出るほどの盛況となったその講演会と同じ内容を、十河は、国鉄の理事を集め、島の部下たちに話させました。それにより、国鉄内部の新幹線に対する風向きが変わっていきました。

 

新幹線計画予算 

国鉄の予算は国会の承認が必要です。島が十河にもってきた予算は約3,000億円でした。そのとき、十河は半分に削れ、といいます。3,000億円では国会を通らないというのです。これには島も驚愕したことでしょう。予算を半分で国会に提出するとした十河の度胸に私は度肝を抜かれました。 

十河には、後で世界銀行から1億ドルを借款するという目論見があり(実際には8,000万ドルの借款を受けています)、それが実現すれば不足分は政府が否応なく引き受けざるを得ないという算段がありました。しかし世界銀行が融資に応じてくれるかどうかは解りません。仮に融資に応じたとしても政府は予算を大幅に超える不足分を補うことになり、これも大問題です。 

新幹線は国家の大事業です。予算が不足したので計画の遂行をストップするというわけにはいきません。

十河をして「予算を半分に削れ」と言わしめたのは何であったでしょうか。

十河には強い信念がありました。 

鉄道はすでに斜陽化し、これからは自動車と航空機が主役である、といわれていてもなお日本経済の復興のためには新幹線が必要だという信念です。国鉄でなくてもいいんだ、私心を捨て、日本の復興のためには新幹線が必要だ、という揺るぎない信念が「予算を半分に削れ」、と言わしめたと私は思います。この強い信念が老体に鞭を打って政治家の自宅に夜討ち朝駆けで訪れ、強力な国鉄内部の反対を賛成にまわるように説得していったのではないでしょうか。世界銀行の融資決定者は来日して十河に会っていますが、十河の人物をみて融資することを決断したと思います。

 

今の時代に 

現在、日本の中に十河総裁のような強い信念と度胸をもった人がいるのでしょうか。企業経営者でも政治家でも、市井の人でも。他人のことはさておいて、私自身はどうか。私は茫然自失です。ただ十河総裁の強い信念と度胸には胸に熱いものが込み上げてきました。