生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

真似てみた頭振り もしかして人生の宝かも

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1.学業優秀なKさんの話し 

私は田舎の高校に通学していました。この高校は県庁所在地にあり、県内各地から生徒が集まっていました。そのため優秀な生徒が集まっていましたが、それでも都会と比べるとずいぶん少なかったと思います。

その中で、私より10才くらい上の先輩に、Kさんという、飛び抜けて優秀な生徒がいました。

Kさんの大学向け校内試験の成績は抜群で、ほかの生徒とは比べようもなかったということでした。Kさんは東大に進学し、東大の学生時代のときは、すでにある分野で、教授に一目置かれた存在であったということでした。

そのKさんにまつわるつぎのような話しがあります。

高校での数学の授業で、Kさんは突然手をあげ、先生が黒板で示した解析方法とは全く別の解析方法を提示することがあったそうです。

思いもつかない解析方法に先生は驚愕するばかりだったそうです。Kさんは頭をナナメウエに回転させます。そしてやおら手をあげ立ち上がって黒板に向ったそうです。

この話しは、東大に進学した私の8才上の兄から聞かされました。

 

2.大学でのゼミで頭振りをした結果は 

私は大学で民事訴訟法のゼミに入りました。ゼミのI先生は、大変優秀な先生で、学界では、トップクラスであり、若手をキリキリマイさせたという評判の先生でした。

熱意のある人は入ゼミを拒まないという先生の方針があり、私が入ゼミした年は学生が20数人と大所帯でした。

ゼミでは、民事訴訟法の条文を学生、1人、1人に読ませ、その条文について先生が条文を読んだ生徒各自に質問される形式がとられました。

ある日、いつものとおり、学生が条文を読み先生が質問をされました。条文を読んだ学生は返答に窮していました。

しばらく時間が経ちました。

時間が経った後、私は手をあげて、こういう風に考えてよいのではないか、と発言しました。先生は頷かれ、私もそのように考えてよいと思うと言われました。

Iゼミは緊張感で張りつめていました。私はいつも六法全書とメモを用意してゼミにのぞんでいました。

私は兄の言ったことを思い出して、優秀なKさんの真似をして頭をナナメウエに振ってみました。

理屈は全く解りませんが、一つの答えが出てきましたので、それをメモに書き、それを発表しました。

こういう風に考えれば、当事者Aも当事者Bも双方が納得できる。そのように答えたことを記憶しています。

私が頭を振ってみたのは、この1回のみですが、高校の優秀な先輩の仕草が、問題を解き明かすのに役立ったと、今でも確信しています。

私達は心の「純粋」を忘れていないか ピアニスト辻井伸行さんの魅力

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1.目の不自由なピアニスト辻井伸行さんの魅力 

 

目の不自由なピアニスト辻井伸行さんが世界から称賛されていることは、今や多くの人の知るところです。ネット上の辻井伸行さん《世界から絶賛のコメント》動画から称賛のコメントを拾ってみました。

伝説のピアニスト、故ヴァン・クライバーンは言います。

「彼の演奏には神の存在が感じられます。

心が純粋で美しい調べを奏でます。

それは無限に天国へと届いています。」

音楽評論家伊熊よし子さんのコメント

共演したバイオリニスト、指揮者、いろんな人が異口同音にいうのは、

「非常に透明感があって純粋、そしてとてもまっすぐな音、ですから私たち聴き手にまっすぐに飛び込んでくるストレートな音なんです。飾り気であったり、気負いがあったり、てらいがあったり、そういうものは何もない。楽譜から読み込んだ音を素直に音に託しているので清らかな音なんです。」

 

2.私の先輩のIさんは物事をズバリと言う 

Iさんは私の2才年上で、付き合いはじめてから30年近くになります。

Iさんは物事をズバリ言ってのけます。

まわりの空気を読まないというのか読めないというのか、そういうことが度々あります。

今でいう、自己中心的ということでしょうか。

従って、周囲と時々物議を醸します。

多分、大部分の人はIさんを変わっている人だと言って片づけてしまうことでしょう。

しかし、Iさんは純粋です。純粋というところに目を向けると、Iさんは可愛げがあります。大人に成り切れないところが多分にありますが、その分、憎めないところがあります。

 

3.純粋な子供はいつ頃からか純粋でなくなったのか 

私達は、誰しも、子供の頃は純真で純粋です。

もちろん身に覚えのある方もいるでしょうが、大人顔負けの計算高いところも、時には顔を出します。しかし、大人に比べれば純粋であることは間違いないことです。

幼い子供の無邪気な振る舞いを見れば解ります。大人が叱るともうこの世の終わりとばかりシュンとし、誉めると飛び上って喜びます。ストレートに反応します。純粋なのです。

高校野球丸坊主の選手が汗まみれになって野球に取り組む姿は、爽やかで純粋で、私達を感動させます。

さて、私達はいつ頃から、純粋でなくなったのでしょうか、というより、純粋さを心の奥にしまいこんで表面に出さなくなってしまったのでしょうか。

すべては、自分と自分以外の他人との関係からでしょうから、他人をはっきり意識するようになった時からでしょう。

自我に目覚め自意識が確立した時からだと思います。

そして、もう一つはっきりしているのは、自立して生活をするようになったとき、経済を考えるようになった時から、というのがあります。自分自身の生活、経済のことを考えると、他人との付き合いには、多かれ少なかれ利害得失を考えてしまいます。多少なりとも相手の顔色をうかがうということがあります。

 

4.大人になっても純粋さは心の奥底に鎮座している 

子供の頃にあった純粋さは、大人になってくるとどこにいったのでしょうか。いなくなっしまったのでしょうか。

いやいや、どっこい、純粋さは、誰しもの心の奥底に鎮座しています。

純粋さが呼び戻されると、人は心の底から感動するのです。

ピアニスト辻井伸行さんの演奏が人々に感動を与えるのは、「心が純粋」で美しい調べを奏でるからです。

 

5.純粋とつきあう大人の心構え 

私達は、大人になれば、それまでの自己中心的な考え方からコペルニクス的展開をして、他人を利する考えを少しでも身につけていかなければなりません。

そうしたうえで、私達は、決して「心の純粋」を忘れないこと、が大切です。

邪心のない純粋は人の心を突き動かし、また自分自身をも仕合わせにしてくれるはずだたからです。

上から目線、自己中、KY(空気を読めない)、3つの流行語を考える

 

1.上から目線 

あなたの言っていることは「上から目線じゃないか」と言って人を非難しているところに遭遇することがこの頃めずらしくありません。

言われた人は黙って無視するか、話題を変えるか、「そう言うあなたこそ上から目線じゃないか」と反論して言い争いをするか、いずれかになります。

「上から目線」は、よく使われていますが、どうも便利な言葉のようで、相手の態度がでかいとき、相手を一蹴するのに使われています。

現代の民主主義社会では、大多数の人が「上からの目線」でありたくないので、この言葉を浴びせられると、心が萎えます。

「上から目線」は強い言葉で、これが飛び交う社会はギスギスします。

 

2.ジコチュー(自己中) 

「ジコチュー(自己中)」という言葉もよく使われています。

あなたは自己中だ、〇〇さんは自己中でどうしようもないね、などと日常会話でしばしば登場します。

ところで、人は多かれ少なかれ、自己中心的で、自己中です。

自分は全く自己中心的でない、という人などこの世の中には存在しません。

誰しも自己中心的ですが、人と比較して自己中心的な側面の強い人を、私達はあの人は自己中だと言っています。

「自己中」は強い言葉で、この言葉を浴びせられると大変嫌な気持ちになります。

あちらも「自己中」、こちらも「自己中」と飛び交う社会はギスギスします。

 

3.KY(空気を読めない) 

「KY(空気を読めない)」という言葉も頻繁に使われています。

人は、あの人はKYだから、といって遠ざけようとします。

KYだと場を白けさせます。気の利かない人というのです。

「上から目線」や「自己中」の人は、人に不快感を与えるのに対し、KYの人は、人に対して直接的に不快感を与えません。場違いで白けるのに気の毒だなと周囲の人が思うにとどまります。もちろん場合によっては、不快感を与えることもありますが。

ところで、非常に頭の良い人は、自己の信ずるところを述べるとき、多少とも、空気を読めない、或は読まないときがあります。

私の敬愛してやまない大学時代の恩師I先生がそうでした。難しい話しで、この場では誰も理解できないのになあ、ということでも、堂々と信ずるところを述べておられたことがありました。

私はそれを聞いて戸惑いませんでした。むしろ先生の人柄に接して感動しました。

 

4.3つの言葉の共通点 

言葉が流行するのは、時代の閉塞感が背景にあるからだと思います。

先行きの見えない行き詰まった状態の中で、「上から目線」、「自己中」、「KY」は、いずれも対象者を非難し追い込んで自らは気分をよくする意味を持った言葉です。

閉塞感から一時的に自分を解放する言葉です。

利他の心、愛の心の言葉ではありません。

またこれらの言葉は、まわりくどくなく意味を直截的に現しています。また言いやすいという特徴があります。

態度がでかい、小ばかにする、に比べ「上から目線」

自分勝手、わがまま、に比べ「自己中」

場違い、場所をわきまえない、に比べ「KY(空気を読めない)」

 

5.「責任をともなう自由主義」における言葉の選択 

これら3つの言葉は、人々の間で使われるようになってから時間が経ちますが、今もよく使われています。

いずれも、自分は横においといて、相手に対して放たれます。

自分は一体全体どうなんだ。

自分のことを考えると、容易に使われる言葉ではありません。

自分自身も「上から目線」であったり、「自己中」であったり、「KY(空気を読めない)」であったりすることを否定できないはずだからです。

現代は自由主義社会で、自由は尊重されなければなりませんが、自由だからといって何でもあり、というのは賛成できません。

私は、自由主義といってもそこに責任という冠をつけた自由主義でなければならないと考えています。

新しい時代は、「責任をともなう自由主義」を標榜するものでなければならないと考えています。

「上から目線」、「自己中」、「KY(空気を読めない)」が乱発される社会は、利己的社会であり、利他的社会ではありません。「責任をともなう自由主義」のもとでは、厳に慎む言葉です。

現代はせちがらい社会です。

これらの言葉が飛び交う社会はギスギスします。

各自が責任をもって言葉の選択をする必要があります。

言葉は人を動かし社会を変えていく力があるのですから。

項羽と劉邦 天下を取ったのは酒と女好きの劉邦 あなたは項羽タイプ?

 

1.項羽と劉邦司馬遼太郎歴史小説から) 

大陸を統一し、巨大権力を握った秦の始皇帝。しかし彼が没すると、大陸全土で「陳勝呉広の乱」を皮切りに無数の反乱が起こり、再び乱世となりました。

その中で、一人は項羽、もう一人は劉邦、二人は大陸の覇権をかけて争うことになります。

項羽は楚の名家、項家の出身。大男で腕力があり、戦闘能力に秀でて勇猛並び立つ者がいませんでした。

一方劉邦は片田舎の百姓出。酒と女が大好きなろくでなしで、家族からもごくつぶしと疎んじられていました。

二人は大陸の覇権をかけて争いますが、劉邦は終始劣勢で、何度も何度も負けて窮地に陥ります。しかし、最終的には劉邦が勝って漢帝国創始者となります。

何故、劉邦項羽を打ち破り天下を取ったのでしょうか。戦闘能力という点では、劉邦項羽に到底及びません。しかし、劉邦には、漢の三傑といわれる韓信張良、蕭何をはじめとする有能な人材が集まりました。劉邦は無学で、口が悪く、教養もなく、酒と女が大好きなだけの男でしたが、何故か人に好かれる不思議な魅力がありました。「あっしがいなければ、劉あにいはただの木偶の坊ですよ」と言わしめるものがありました。

劉邦は何もできない、だらしない。だから何とかしてあげなければ」劉邦はそう言わせる魅力をもっていました。

これに対し、項羽は能力があります。一人で全軍を引っぱっていく力があります。しかし、親族以外を信用せず他人の言うことに耳を傾けようとしません。「項羽のためには、何とでもしてあげたい」と人に言わせる魅力を持ち合わせていません。結果、有能な人材が集まりません。

 

2.天下を取ったのは酒と女が大好きな劉邦 

私は、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読む前は、天下を取るのは項羽みたいな人だとずっと思っていました。それなので、天下を取った劉邦のことを知り、驚きました。大変、新鮮でした。

天下を取るのは項羽でなく、劉邦なのか・・・。

もちろん項羽にも少なからず有能な部下はいたはずですし、また劉邦も有能な人を抜てきし重用したところからすると能力があったと考えられます。

私が驚いたのは、中国という広大な大陸をまとめ上げたのは、戦闘能力のある項羽ではなく、飲んだくれで女好きで戦闘能力はないが、人に好かれ有能な人を集めることのできた劉邦だったということです。

 

3.現代社会におけるリーダーの資質は 

さて、現代社会にではどうでしょうか。

世にいうリーダーは凡そ「項羽」タイプでしょうか。

こと経済界についてみると、企業はトップ次第といえます。トップにもっとも望まれるのは時代の流れを的確に読み、それを決断実行する能力です。トップは「項羽」のもつ力が必要です。

そうには違いないのですが、正しい見通しを立ててもそれを実行に移すのには社員の協力、結集が必要となります。そうなると、リーダーの人格が求められます。この人ならついてゆけるというものがなくてはなりません。ここでは「劉邦」的なところも大事なのかもしれません。何とかしてあげたいと思わせる人に有能な人材は離れずについていくのではないのでしょうか。

 

4.親子関係、男女関係において、あなたは項羽ですか劉邦ですか 

さて、私達の日頃の生活については如何でしょうか。

例えば、子供が大きくなり、親が年老いてきた場合。

親は、精神的にも経済的にも子供に迷惑をかけまいと、自立して生活しています。そして元気溌剌と日常生活を送っていると、子供は安心して、親のことはかまいません。親がしっかりすればするほどかまいません。親に声をかけるのは、何か自分に用事が出きたときぐらいです。この場合は親は「項羽」といえます。

項羽」の親は、一人でしっかりやっていくので、子供はほったらかしにします。これに対して、親が「劉邦」となり、子供に何かを頼ろうとすると、頼るまでもないがあれやこれやと雑談することが多いと、子供はうっとうしい側面を越えない範囲で対応しようとします。「劉邦」の親は、可愛げのあるかぎりであれば、親子関係が密になります。たまには「劉邦」タイプもよい、ということになりはしないでしょうか。

男女の関係は解りやすい。

男でも女でも、相手が項羽タイプで一人で何でもやるとなると、口をはさみません。これに対して、「劉邦」タイプで、どことなく頼りない仕草をされると、何とかしてあげたくなります。

平生は「項羽」タイプでかまいませんが、時には「劉邦」タイプであって欲しい、ということにならないでしょうか?

 

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中国の海外支援 下部構造が上部構造を規定する

 

1.世界保健機関(WHO)テドロス事務局長の中国寄りの行動 

世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は、2020年1月30日の会見で、中国の新型コロナの対応を称賛し、米国が1月末に決めた中国からの入国禁止について反対しました。その後新型コロナの感染は世界中に広がっています。

WHOの対応は中国を擁護する姿勢が目立ちます。

テドロス氏の母国はエチオピアで、外相や保健相をつとめ、2017年にWHOの事務局長に就任しています。

エチオピアの首都アディスアベバにあるアフリカ連合本部は、2012年に中国政府が総工費150億円を全額負担して建設されています。

エチオピアの交通システムや高速鉄道など多くのインフラ案件に対しても中国の政策銀行、中国輸出入銀行が出資しています。

中国は広域経済国構想「一帯一路」の戦略で、アフリカ諸国との関係構築を急いでいます。-2020.4.16 日本経済新聞 WHOの透明性、調査で保証へ コロナの初動対応から

 

2.下部構造が上部構造を規定する 

私はテドロス事務局長の新型コロナウイルス感染の初期対応に疑問をもちました。

中国からの入国禁止措置などWHOの初動対応に遅れがあったのではないか。と思いました。

テドロス事務局長は、エチオピア経済が中国によって多大の恩恵を受けているということを無視できなかったのではないか、そのため中国寄りの行動をしたのではないか。

経済は国や企業の行動に大きな影響を与えます。経済は大きく物を言います。

私は、大学時代に知ったマルクス唯物史観、「下部構造が上部構造を規定する」という言葉を思い出しました。

下部構造の経済に変化が起きれば、上部構造の政治、宗教、道徳、法律などが変わり、人間の歴史が動いていく。

社会の一番の基礎は経済である。政治、宗教、道徳、法律などの精神的活動は、経済に影響を与える側面を否定するものではないが、究極的には経済によって決定される。

唯物史観は、社会の構造、流れといったものについてふれており、俗にいう、日常生活において、経済が物を言う、幅を利かす、という意味で使われているとは思いませんが、私は、「下部構造が上部構造を規定する」という言葉を思い出し、テドロス事務局長の一連の行動は、中国の経済が与って力があったに相違ないと思ったのです。

もっとも私自身は経済が精神的活動に大きな影響を及ぼすとは考えていますが、究極的には精神が経済を動かすと考えています。

 

3.私達の身のまわりでも経済は大きく物を言う 

経済が国や企業を動かすのはよく理解できることですが、実は個人の日常的行動も経済が重くのしかかってきます。

私達は、経済援助を受けている人やお金を借りている人に対し頭が上がりません。援助がストップしたり、借金の返済をせまられれば、立ちどころに生活に支障をきたすからです。どんな人でも、援助してくれる人やお金を貸してくれる人に対し、気がねをし、その意向に注意を払います。

もちろん、すべてにおいて相手の言うままに動くというわけではありませんが、結局のところ相手の意向には逆らえません。

 

4.中国の海外支援は将来世界を自らの掌中に収めることになりはしないか 

中国は、モンテネグロパキスタンスリランカ、マレーシア等の途上国に、インフラ整備を目的に、高額な貸し付けを行い、その結果、各国が返済できないような債務を抱えるようになってしまっています。

スリランカは、中国に対する負債が重荷となり、ハンバントタ港の運営権を99年間中国に譲ることになっています。

また、中国が途上国で開発プロジェクトを実施するときは、中国から労働者を派遣して工事を実施し、雇用の面で、対象国が恩恵にあずかることはないといわれています。

中国の海外支援は、「一帯一路」構想等を通して今後も続けられるでしょうが、経済が物を言って、支援を受けた国はいつのまにか中国の支配下になっていくことにはならないか。

中国の経済発展は著しいものがあります。中国は、経済をテコにして猛スピードで海外支援を行い、いつの間にか世界を自国の支配下にしてしまう、そういう目論みをもっていないか、大変危惧します。

中国の南シナ海東シナ海尖閣諸島への動きをみると、その思いを強くします。